2009年12月9日水曜日

ソーシャルベンチャー Kopernik(コペルニク)

今年の半ばに、Kopernik(コペルニク)というソーシャルベンチャーを立ち上げた。立ち上げたのは、開発援助を自分なりにより効率に出来るのではと考えたからだ。

国連を通じた政府開発援助分野でしばらく働いてきた中で、その強みと弱みが段々と分かってきたと思っている。

国連の強みは、やはり国際政府機関であるということ。192カ国の加盟国の意思を反映させることのできる唯一の組織。そして、このガバナンスの構造のおかげで、国連の中立性というものが保たれる。中立性があれば、非常にセンシティブな分野での仕事が出来る。例えば選挙支援。こういった分野で二国間援助機関が中心になって支援を行うということは殆どない。

一方、この国際政府機関ということは両刃の剣で、ODAは、途上国政府を中心に据えた援助となる。もちろん、国家の開発に対する役割というのはGivenであり、途上国政府が機能していなければ、開発というものは殆どあり得ない。しかし、途上国政府の強化に重点を置きすぎると、問題も出てくる。どうしても援助に対する依存文化が生まれるし、先進国でもなくならない汚職で多くの援助が無駄になる可能性が大きい。

また、国際機関は巨大な官僚組織であり、新しい技術や革新が生まれにくい土壌になっている。官僚制度を真っ向から批判しているわけではなく、必要な手続きプロセスなど、なければならないものも勿論多い。それぞれのプロセスには何かしらの理由がある。一方で、リスク回避の文化が生まれ、新しいことを試すということが起こりにくい。

こういったことは、このブログの前シリーズ「平和構築の現場で考えた」でも書いていた。例えばこれら:

http://peacebuildinglive.blogspot.com/2008/02/blog-post_17.html

http://peacebuildinglive.blogspot.com/2009/03/dead-aid.html

http://peacebuildinglive.blogspot.com/2008/11/blog-post_11.html

http://peacebuildinglive.blogspot.com/2008/07/blog-post_59.html

これらの問題に対し、どのように開発援助を効果的に出来るかをずっと考えて来た。コペルニクは、それに対する1つの答えと思っている。パイロット活動を始め、手ごたえもいいので、現職を休業して、来年の初頭からフルタイムでコペルニクに専念することにした。

「続・平和構築の現場で考えた」は、今回の投稿を最後にし、今後の近況はコペルニクのブログで行う。

今後ともよろしくお願いします。

2009年12月7日月曜日

友人の結婚式


大学の同じ法学部の同級生、かつラクロス部のチームメイトのMの結婚式が、ウェスティン大阪で開かれた。彼は、司法試験に今年(やっと)合格し、7年越しの付き合いの彼女と結婚。

同期のチームメイトがほぼ全員出席し、体育会っぽいパフォーマンスも披露。ユニフォームを着たのは卒業いらい、、、。久しぶりに他の学年のチームメイトとも会えて満足。

2009年12月5日土曜日

大阪

広島を午前10時ごろに出て、今日は大阪。

両親とご飯を食べ、帰宅。

芋焼酎を少し飲みすぎたか。

広島でも毎晩飲んでいたので今日は早く寝よう。

明日は大学時代の友人の結婚式。

2009年12月2日水曜日

広島平和公園をジョギング

昨日は久しぶりに快眠。早く目が覚め、広島の街をジョギング。今日は昨日よりかなり冷えている。

平和公園が近くにあると分かり、そこに向かう。





小さいころに広島に住んでいたが、殆どその時のことを覚えていない。が、この塔を見た時に、なにか懐かしい感じがした。



原爆ドームの横を通り過ぎて、、、



川沿いを走る。

2009年12月1日火曜日

お好み焼き



今日は講義が終わってから、講師人で平和構築支援室に努めるVと、西アフリカ平和構築ネットワークのEと、HPC所長のSさんとお好み焼きを食べに行った。

関西では「広島焼き」といわれるこのお好み焼きは、野菜が多く、小麦粉の生地がうすく、かつソースに特徴がある。せっかくなので、もう少し広島の見学でもしたいが、いつ時間が出来るかあまり分からない。

広島より

昨晩広島に到着。

到着後すぐに会場に向かった。ソマリアのSRSGが来日していることに乗じて、平和構築センターが、ソマリアでの平和構築の現状について講義を開催していたからだ。

彼については、国連内では色々な意見を聞くが、最も複雑な紛争の一つの調停をしている彼の話は、奥深い。

その後、所長のS氏などとともにホテルの近くの居酒屋で今日からの講義の打ち合わせ。まだ時差があるようで、昨日は4時間ほどしか寝られなかった。まあたまっていた仕事がこなせたからいいとしよう。

2009年11月29日日曜日

東京で

東京滞在中は、ポッドキャストを聞きながら、ジムの代わりに目黒川沿いをジョギング。もう12月になろうというのに驚くほど暖かい。昨日と今日とで川の逆の方向に走ってみた。道なりに古い建物と新しい建物がまじりあっている。リトルリーグの練習もやっていた。

今晩は国連フォーラムの「私の提言」チームとの会合。

2009年11月27日金曜日

JFKより

今JFK空港に着き、ラウンジで出発待ち。

以前も書いたが、広島の平和構築人材センターで講師として呼んでいただき、今回の出張となった。ちょうどタイミングよく、大学時代の友人結婚式や、その他のイベントと時期が重なり一石三鳥ほど。法政大学でも話をすることになっている。

昨日は、コソボでUNDPの副代表を務めていらっしゃるKさんを囲む会があり、帰宅は夜中の二時ごろ。飛行機でゆっくり寝よう。

2009年11月25日水曜日

リトリート

昨日と今日、Monhokという場所でリトリートが行われた。マンハッタンからバスで1時間半ほどのところにあるが、このホテルは1869年に出来たという非常に歴史のある場所。幸いにも非常に天気もよかった。

さて、私のいる部署は国連改革を推し進めるところだが、関係国、機関の色々な(ばらばらな)考えで、なかなか一つの方向を定めるのが難しい。そういった中でどこに、そしていかにリソースを集中させるべきかと議論をした。

やはり、ステークホールダーの数が半端ではなく、かつ政治的な思惑もあるこのプロセスはなかなか難しい。

2009年11月19日木曜日

パキスタン

今日はパキスタン関係で一日中走り回っていた。ハイレベルな会合が明日あり、今日中に様々な機関の意見をまとめなければならず、電話とワードで挌闘。久しぶりに会った方と、一度直前にリスケし、今日の予定のランチも30分ほどで切り上げなければならず、非常に失礼をしたと反省。

明日は私の所属する部署のリトリート。来週の月・火に行われる調整室全体のリトリートの準備をする。27日に日本に出発するので、今月仕事が出来るのはあと、丸2日のみとなった。

2009年11月18日水曜日

アフガニスタンの事件

10月27日に起こったタリバンによるゲストハウス襲撃は記憶に新しい。このため国際国連職員の多くがアフガニスタンから一時的に離れているが、今日その一人でシエラレオネ時代からの友人とあった。彼女はまさにアフガン選挙プロジェクトで働いており、亡くなった2人もよく知っている同僚だったと言う。

こういった国では、国連の果たす役割への期待が大きいが、その反面、大きなリスクがあることも確かだ。

2009年11月9日月曜日

NY土産


エヴァが再来週から出張に出かけるので、友人へのお土産を買いに行った。

ブルックリン住人として、やはりブルックリンモノを選びにいった。家から歩いて3分ほどのところにあるBrooklyn Industries。ここでは私もTシャツなどを買って愛用している。

しかしこれ日本のコンテクストで考えてみれば、「渋谷」とか「恵比寿」とか書いているTシャツを買うようなものか。しかし、ブルックリンの住人は往々にしてこの街を愛し、ブルックリンモノを来ている人が多い。

2009年11月6日金曜日

朝のルーティーン

恵まれたことに、私の住むアパートの建物と同じブロックにYMCAのジムがある(ここでは皆Yと呼んでいる)。

仕事前にほぼ毎朝ジムに行っているが、冬時間に切り替わったこともあり、運動を終えるころには大分明るくなっている。先日は快晴でこんな感じ(↓)。

朝運動すると一日中頭がすっきりする感じがする。


2009年11月3日火曜日

ホットスポット アジア

今年はアジアが紛争、自然災害の両方でホットスポットと化した。スリランカ、パキスタンの紛争、アフガニスタンでの国連職員に対する攻撃、フィリピン、インドネシアなどでの自然災害。アジアを担当しているので色々な対応に追われる。しかも私の部署は職員数が少ないため、一人でカバーする国が多い。色々勉強になっているが、、、。

2009年11月2日月曜日

ブルックリンの中華街までサイクリング

今日はチャリでブルックリンの中華街までサイクリングした。家からは片道30分ほど。この中華街はマンハッタンのものよりももっと「中国っぽい」。通りで歩く人の殆どが中国人。



魚介類もたくさん。今日はロブスターを購入。



カエルまで。




山芋もある。鮮度も高く、すべて値段が大手スーパーの半額ほど。時間があるときにはまたここまでこよう。


2009年10月31日土曜日

NYで一番お気に入りのレストラン Frankies 457

昨日、家に泊まっている友人を連れて、NYで(今のところ)一番お気に入りのレストラン、Frankies 457に行ってきた。

ブルックリンで、家から歩いて15分くらいのところにあり、場所的にも非常に便利。チーズ、パスタ、ソーセージ、野菜など何を食べてもうまい!サービスも非常に良い。たらふく食べて1人65ドル程。

何度かかなり有名で高級なレストランも試してみたが、ここほどコストパフォーマンスが高いところはまだない。(中華料理をのぞいて、、)

2009年10月30日金曜日

仕事探しの手伝い

インドネシア時代に一緒に仕事をしたBUが今家に泊まっている。彼はインドネシアの後フランスのビジネススクールでMBAを取ったところで、また仕事に戻ろうというところ。色々と国連内の知り合いを紹介しているが、予算切り詰めなどでなかなかポジションが空かなさそうだが、短期の仕事ならちょこちょことありそうな感じだ。早くなにか見つかるといいが。

2009年10月25日日曜日

国連フォーラムオフ会

昨日国連フォーラムの5周年を祝うオフ会に行ってきた。かなりの人が来ていたが、5年以上前に東ティモールを研究のために訪ねていた方などとも再会。このような組織横断的な集まりはいい。

2009年10月18日日曜日

衣替え

先週一週間で18℃程だった気温が7℃まで急に下がった。ここ7年ほど、まともに冬を過ごしたことが無かったので、冬物を引っ張り出すのにも時間がかかる。しかも、冬物を殆ど買い換えていなかったのでワードローブがここ7年ほど変わっていない。というわけで、今日の午前中は買い物に行ってきた。NYの冬は寒いので万全の準備をしなければ。

2009年10月12日月曜日

広島平和構築人材センター

外務省の取り組みで、広島平和構築センターが運営をし、平和構築支援の文民専門官を育成をする取り組みがある。シエラレオネ勤務機関には、このプログラムから優秀な人を送ってもらったこともある。事業開始3年目に当たる今年の人材育成事業に講師としてよんでもらっっているため、12月の初頭に1週間広島を訪れることのなっている。

広島は実は小さいころに数年間住んだことがある。殆ど覚えていないが、母親に言わせると、その当時は「立派な」広島弁をしゃべっていたという。それ以来広島に戻ったことはないがいずれにせよ、こういった機会でもないと広島に戻ることはなかなかなかっただろう。

2009年10月10日土曜日

バタバタ週

今週は、かなりバタバタした週だった。年末にかけて2つの大きなワークショップを企画していたが、共同主催者の平和維持活動局などと日程の調整が最後までつかず、日にちも近づいた。結局最後に決めた週は、11月の9-13日だったが、開催までもう1カ月という時期。強行突破しようとしたが、色々な理由で結局キャンセルになった。多くの人を巻き込んでいるので、後始末も大変。ああ、疲れた。

2009年10月5日月曜日

THE 35TH ANNUAL ATLANTIC ANTIC STREET FESTIVAL

家の前のAtlantic通りでフェスティバルをやっていた。通りを閉鎖して、歩行者天国になっている。道の両側に店がでて、すごい人でごったがえる。バンドも色々出ている。

昨日は天気が悪かったが、今日はフェスティバル日和。















2009年10月3日土曜日

LEADの「後輩」との集まり

昨晩、UNDPのリードプログラムの第8期生との集まりがあった。数ヶ月前から仕事を始めたこの組は、現在NYで2週間のトレーニングを受けている。人事部の計らいで、NY在住の1-7期までのリードプログラム参加者が招待された。

その後、31通りの韓国街に行き、たらふく焼肉を食べた。

思い起こせば、リードに参加したのはもう5年前にもなる。時のたつのは早い。

2009年9月28日月曜日

パーティー

昨日エバと合同の誕生日パーティーを開き、かなりの人が来てくれた。

シエラレオネのフェアウェルパーティーで、カラオケが相当ヒットしたこともあり、どうにかカラオケを調達することを企画。色々調べてみたが、どうもオンラインのものはあまり質が良くなさそう。結局Wiiを調達して、The Beatles: Rock BandとWill専用マイクを購入。

ゲストが半分くらいに減った12時ごろからカラオケが始まった。結局朝の5時位までつづき、近所迷惑だったが、我々は十分楽しんだ、、、。今日はもちろん二日酔い。朝起きて、空になった瓶に数にびっくり。

2009年9月24日木曜日

国連総会

今週は国連総会。国連の周りの道路はブロックされ、警察、警備員などでごったがえす。色々なチェックポイントでIDを提示させられる。まあ、1年に一度のお祭りなのだが、この会議にいくらお金がかかっているのだろうか。

以前働いた国で、政権に就いたばかりの大統領以下大臣などが30人ほどで総会に乗り込んだが、その費用はかなりのもの。「お金のかかる会議を開催する機関」とだけのレッテルを貼られないよう、直接平和、開発にインパクトのある活動もしっかりしていかなければならない。

2009年9月18日金曜日

ロングアイランド

今日は、各国で、国連の駐在調整官(国連の代表者)のオフィスで働く調整オフィサー達を対象とするトレーニングのためにロングアイランドのグレンコーブという場所に来ている。

今朝ブルックリンからタクシーで来たが、NYから少し離れただけのロングアイランドは、非常に緑が多く、落ち着いた街並みだ。

私は、紛争後の移行期にある国で、国連がどのように「一つの国連」として働けるかというテーマで話しをした。各セッションが評価をされるらしく、どういう判決を下されるか気になる、、、。

セッション後の議論はなかなか充実したものであった。

帰りは電車で帰る。1時間半ほどかかるらしい。

2009年9月8日火曜日

友人の本出版

大学の同級生のYが本を出版した。「霞が関維新」なるタイトル。彼は大学を卒業後、環境省に入り、その後アメリカにMBA留学し、コンサルティング会社に入社。

今私が立ち上げているプロジェクトにもサポートをしてもらっている。

皆さん、買ってあげてくださいね。

2009年9月6日日曜日

ポケットプロジェクター

新しいプロジェクターを手に入れた。Optima Picoという製品。手のひらに乗る位の大きさのプロジェクターだ。



問題は、コンピューターから直接つなげないこと。Iphoneなど向けにできたものだと後で知ったが、PCに接続できないプロジェクターの意義はどれほどか、、。まあ、色々ケーブルを買えばつなげないことはないとおもうが、、。

2009年9月5日土曜日

Julie and Julia

今日は近所の映画館でJulie and Juliaを観た。なかなかアップ・リフティングないい映画。

やたらとフランス料理が食べたくなる。

お勧め。

2009年8月31日月曜日

友人の衆議院当選

今回の衆議院選で民主党が圧勝。保守から保守ということで、アメリカやイギリスでの政権交代ほどのインパクトがあるのかはわからないが、わずかな社会党政権を除いた55年体制が崩れたということだろうか。

個人的にうれしいのは、政権交代自体というよりも、大学時代からの私の友人が京都で当選したということ。私と同年代で、政治家ではかなり若い方だが、是非頑張ってもらいたいもの。

ブルックリンの風景

ブルックリンプロムナードからマンハッタンを望む





ブラウンストーンの街並み


通りの名前 ラブ


パイナップル


オレンジ


クランベリー


ダンボ地域




フリーマーケットで焼くピザ

2009年8月23日日曜日

クリプシュのイアフォン

長いフライトを終え、昨日NYに戻ってきた。

家に着くと、出張前にオーダーしておいた
クリプシュのイアフォンが届いている。出張にもっていきたかったが、出発前には届かなかった品。



これは、ノイズ・アイソレーション構造のイアフォン。よくある、騒音と逆相の音を出してノイズキャンセリングをするものと違い、耳栓のような構造で外部の騒音を遮断する構造になっている。要するにローテクでノイズを遮断する仕組みなので、ノイズキャンセリングのものよりは一般的に低価格になっている。クリプシュの音響設備は実はかなり気にいっており、家のホームシアターのスピーカーにも使っている。宣伝の上手なボーズよりも断然音がいい。


NYの地下鉄はノイズがかなり大きく、せっかくのポッドキャストもよく聞き取れない。テストをするのが楽しみだ。

2009年8月20日木曜日

ネパール東部

今日はネパール東部のビラットナガール県まで、飛行機で約一時間飛んで行ってきた。ネパールの第2の都市。ここは2008年のコシ洪水の被害にあった場所だ。洪水で砂が数メートル積り、住んでいた家などすべてが埋もれるか流されたという経緯がある。 洪水から約一年たった今だが、人道支援がようやく終わりかけ、復興期に移行している。視察に行った村では、積もった砂をすくい取り、魚を養殖するための池を作っていた。


話しを聞いてみると、この地域の住民はカースト制度の最下層に位置する人々たちで、土地所有ができず、小作人として細々と生活をしていた時に大規模な洪水の被害にあったということ。国連の支援を受けてはいるものの、長期的な生活の糧はどうすればいいのかと村の女性が懇願してくる。



その後訪れた村では、職業訓練を行っているところを視察。縫物や、コンピューター、裁縫などを行っている。洪水以前はこういったことは出来なかったという。







話はかわって、このバイク(↓)。国連の支援で配給されたらしいが、インド製のもの。何がいいかというと後方部の荷台を取り付けれるスペース。これで、物品を運んだりして生活の糧になる。しかしびっくりしたのは値段。米170ドルもするらしい。日本で買うチャリ並の値段。

2009年8月16日日曜日

ネパール

カトマンドゥに昨日朝到着。午後に少し仕事をしたあと、夜はJICAとUNDPの知り合いとご飯を食べにいった。その後、そのうちの一人の家で焼酎をごちそうになる。国連のような仕事をしていると、数年もすれば、ほぼどこの国に行っても知り合いがいるという非常に恵まれた状況になる。ありがたいことだ。

今日の午前中はカトマンドゥ観光。仏教とヒンドゥー教の寺が入り混じった街並み。車とバイクと騒音が玉にキズだが、非常に神秘的な街だ。